公文書用語、認知症

介護・福祉の分野で、公文書に使われる
用語の意味する内容やその用語自体が与える影響は
重く、広く、そして、大きいことを改めて感じています。

「認知症」という用語は今ではほとんどの人が知っており、
ごく当たり前のように使われています。

ですが、2004年に
厚生労働省の「痴呆に替わる用語に関する」検討会で
「認知症」という用語が決定するまでは、
「痴呆症」が医学用語や行政用語として
法律、公文書などで使われていました。

一般的な用語は「呆け(ボケ)老人」です。

旧用語を使用していたのは、新聞にかぎらず
当事者・家族の先駆的市民団体である
公益社団法人「認知症の人と家族の会」も
例外ではありませんでした。

「認知症の人と家族の会」もかつては
「呆け老人を抱える家族の会」でした。

私が勤めていた毎日新聞社の外郭団体である
公益財団法人「認知症予防財団」も
以前は「ぼけ予防協会」でした。

上記の厚生労働省の検討会でも、
次のように報告されています。

—————————————–

行政面では、昭和50年代後半あたりから
「痴呆」の用語が用いられ始めており、
昭和61年には当時の厚生省に、
「痴呆性老人対策本部」が設置されている。

法律上の用例としては、
おそらく平成3年の老人保健法等の改正が初出であるが、
現在(当時)では介護保険法、社会福祉法の法律を
はじめとする多くの法令で使用されている

—————————————–

今の時点で考えると、どうだろうかとは感じますが、
旧用語を使っていたとしても無理はありません。

その当時に違和感があったとしても、
行政的、医学的にそれが一般的な用語として
通用していました。

筆者は「認知症」と決まった厚生労働省の検討会を
新聞記者時代に取材した経験があります。

提議したのは
現認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長の
専門医師、長谷川和夫さんです。

検討会では

「『痴呆症』という用語が侮蔑的な表現である上に、
痴呆の実態を正確に表しておらず、早期発見・早期診断等の
取り組みの支障となっていることから、できるだけ速やかに
変更すべきである」

としてさらに議論が進められました。

そして「認知」という言葉が
医学的、心理学的、あるいは法律学的に
どのような意味を持つかなど、
まさに幅広く真剣な議論が展開されました。

語源のルーツは、
Dementiaの英訳にルーツがあるようです。

精神医学的側面が強く、今では欧米でも
症状がもっと幅広く捉えられています。

検討会では7人の専門家・有識者により
長時間、多角的に議論されました。

「痴呆症」に代わる名称を決める検討会が行われた当時に
実施されたアンケートの結果は次のようなものでした。

「痴呆という用語に、不快あるいは侮蔑を感じますか?」
との問いに対し、回答は以下のようになっています。

一般国民:「不快と感じる56.2%」「感じない36.8%」

病院、施設関係者:「不快と感じる48.9%」「感じない43.5%」

複数回答や該当外などがあるため、
データは100%にはなっていませんが、
いずれも「不快と感じる」が上回りました。

行政関係者や医療機関では「不快」の回答数が多いものの
「感じない」という回答も少なからずあります。

これも当時の捉え方として受け止めると、
社会状況の一端が垣間見えてきます。

さらにどのような用語がふさわしいかという点では、
「認知障害」「記憶障害」「アルツハイマー」「物忘れ症」「記憶障害」
一般からは「認知低下症」「認知記憶障害」などの意見が寄せられました。

「認知」と付けられた用語が多いのが印象的です。

結果、検討会では「認知症」とすることに決まりましたが、
適正な判断だったと思います。

使い慣れていた「痴呆」や以前の「もう碌」を使用する、
小説の「恍惚」などの表現を「認知症」とするなど
消極的な意見も少なからずありました。

また、組織・団体の冠に
そのまま旧用語を使い続けたところもあります。

これも当時の状況を考えると受け入れざるを得ませんが、
最終的に「認知症」でまとまりました。

それまでは差別的な表現や偏見が
早期発見や適正な診断を妨げていました。

ですので、行政的にも医学診療の面からも、
またそれらを受け止める社会的な観点からも、
大きな転換点になりました。

一般の理解が深まったこともありますが、
国が法律用語、公文書に使う用語として定めたことが
何より大きかったと思います。

今は認知症の人たちがオフィシャルな場や文書で
「痴呆」「呆け老人」などと表現されることはありません。

医学用語、公文書の用語としても「認知症」に統一されています。

「用語狩り」と受け取られる不用意な変更や使用停止などは
慎重かつ厳密に議論されなければなりません。

ですが、用語は時代や考え方の進化とともに変わります。

「認知症」のほかにも「統合失調症」「知的障害」など
介護福祉、医療の分野で用語を変えた例がありますが、
いずれも真剣な議論を経て結果として受け入れられています。

それだけ用語の持つ意味と内容が及ぼす影響が大きいことなのでしょう。

認知症に関連した例では、
「徘徊」という言葉を使わない動きが
自治体の間で起きています。

用語の意味する内容や語感から、
屋外や街を「うろつく」「目的もなくさまよう」など
ネガティブに解されるケースがあります。

筆者はこのコラムでも、
認知症の人たちが暮らす社会の実現には、
自律的な生活をサポートすることが重要である
と強調してきました。

福岡県大牟田市では、「徘徊」といわず、
「道に迷っている」などの表現をして
認知症の人たちをサポートしています。

また、AIなどの科学技術の進歩により、
居場所を確保する電子機器や介護ロボットなどが
登場しています。

用語を変えたり、使わなかったりと
さまざまな取り組みがありますが、
行政が取り組みを始めることには大きな意義があります。

公用文の規定によりますと、用語は

「平易簡潔なものを用いるとし、特殊な言葉、堅苦しい言葉
 又は使い方の古い言葉を使わず、日常一般に使われている
 易しい言葉を用いること」

などと定められています。

何にでも使わる「特例」という用語や
安易に削除される森友「公」文書など、
霞が関での用語の軽さには本当にあきれますが、
改めて用語の意味と重さを考えることの重要性を深く感じます。

検討会から14年、89歳になった長谷川和夫さんが、
「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断されたという
インタビューが朝日新聞(3月16日朝刊)に掲載されました。

難解な専門的診断名ですが、
80,90歳から発症する「晩発性認知症」と説明されています。

物忘れ以上のものを自覚していたそうです。

自身も認知症の一人だと公表することで
認知症の正しい理解を社会に問いています。

誰でも年を取れば、大なり小なりの認知症的な症状は出てきます。

長谷川さんは、自分が専門医であることは知られているので、
体験を伝えれば普通に生活しているとわかってもらえる。

認知症は暮らしの障害で、暮らしがうまくいくかどうかが一番大事。

多くの人が理解してくれれば、認知症の人の環境にもプラスになる。

・・などの趣旨の話をされています。

長谷川さんは、半世紀にわたって
認知症専門医として尽力されてきました。

その経験から用語の重さをよく知る人の思いは示唆に富んでいます。

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執筆:渋川智明先生

東北公益文科大学名誉教授
法政大学大学院、目白大学大学院非常勤講師
(福祉・社会保障論、NPO事業論、社会的企業論)

早稲田大学卒、毎日新聞社入社。
西部本社報道部副部長から
東京本社社会部編集委員(厚生労働政策担当)。

2005年4月から東北公益文科大学教授。
公益学部長、大学院研究科長を経て、
2014年4月からは同大学名誉教授。

また、ジャーナリスト経験から介護保険、
医療保険、年金問題など社会保障政策に精通。

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